伝説の場所へ行ってみよう。

日本に伝わる伝説を、ぼちぼちと紹介します。ネットを使ってその場所へ、一緒に旅をしよう。

44 伝説の場所へ行ってみよう。

chyabinです。岩手県陸前高田市では、心ある人達が桜の木を植えている。東日本大震災におきた津波の到達地点に、こんな所まで津波が来たのだとわかりやすい目印にするために、十メートル幅で17000本の桜を植え、次の世代に残す。それが生き残った者の仕事だと、彼らは桜を植えている。植えている人の一人が、「悲しい桜なのだ」と言った。

陸前高田市の17000本の桜

2011年3月11日におきた東日本大震災で、岩手県陸前高田市に押し寄せた津波の到達地点を、後の人に残すために植えられている。

岩手県陸前高田市


大津浪記念碑

岩手県宮古市にある災害記念碑。1933年建立

大津浪記念碑(おおつなみきねんひ)とは、大津波の被害をうけた地域の住民が、子孫への警告として設置した記念碑。同様のものは日本各地にあるが、本項は岩手県宮古市重茂姉吉地区の石碑について述べる。他の記念碑については、災害記念碑参照。

岩手県宮古市重茂姉吉地区の石碑編集

姉吉集落にある昭和8年津波記念碑

1933年昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で、岩手県宮古市重茂姉吉地区に建てられた。重茂半島とどヶ崎の南西約2kmの所にある姉吉漁港から[1]、急坂を800m程上がった海抜約60mの山腹にある。大きさは縦約1.5m、横約50cm。

碑文は「明治29年の津波で、村の生存者はわずか2人、昭和8年の津波では、4人だけだった」と過去の大津波で村民がほとんど全滅した悲惨な状況を伝えたうえで[1]「大津波の悲劇を記憶し、何年たっても用心せよ」と戒め「津波は、ここまで来る。ここから下には、家を作ってはならない」と警告する[1][2]

2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波は、この石碑の約50m[1][注釈 1]手前にまで迫ったが、石碑の警告どおり上にあった集落までには至らず、建物被害はなかった[2]。また、地震発生時に海岸近くにいた住民も、すぐに自宅に戻って難を逃れた。この事実が報道によって広まり、津波記念碑があらためて注目されるきっかけとなった。

警告の風化編集

このような過去の津波に遭遇した先人たちの警告は、時間の経過と共に徐々に忘れ去られ、石碑よりも海側、やがて海岸近くにも家が建てられるようになっていった。こうした状況下で東日本大震災による津波が発生し、ふたたび多数の人命が失われたのである。また姉吉地区の話ではないが、地区によっては「土地を手放したい地主」・「一部悪質不動産業者」などが石碑をうとましく(石碑のせいで土地が高く売れず風評被害だと)おもい、勝手に海側へ移築してしまった例もあるという。これでは正しい情報は、つたわりにくいといえる。

失敗学を提唱する畑村洋太郎は、「失敗は人に伝わりにくい」「失敗は伝達されていく中で減衰していく」という、失敗情報の持つ性質を見出している。